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「武士道残酷物語」(1963)

【DVD発売中】

73点73
自己を犠牲にしてまで主君に仕える日本人の被虐的精神構造を、江戸時代から現代までの7つのエピソードで描くオムニバス映画。第13回ベルリン映画祭で金熊賞を獲得した。物語は現代に生きるサラリーマン・飯倉が、ダムの入札をめぐって上役から競争会社の情報を盗むように言われ、スパイをしたその恋人が自殺未遂をするところから始まる。映画はそこから飯倉の先祖にさかのぼり、主君や国家のために犠牲になって死ぬ飯倉家七代の残酷な歴史を綴っていく。藩主の落度を被っての切腹に始まり、殉死、不義密通の濡れ衣で男根を切られたり、老中に娘を献上したり、戦争で死んだりと、異様なエピソードの数ーに日本人の原形が重ね合わされる。

あらすじ

日東建設の営業部員、飯倉進は婚約者の人見杏子が自殺を計ったとの知らせに、眠っていたある記憶を呼びおこした。故郷信州の菩提寺で発見した先祖の日誌に記された、世にも残酷な話のことである。−−関ケ原戦後、浪々の身であった飯倉次郎左衛門は信州矢崎の小大名堀式部少輔に拾われた。寛永十五年主君と共に島原の役に服した次郎左衛門は、一揆勢に黒田屋敷を焼かれた科で幕僚から叱責を受けた式部少輔の罪を被り、本陣門前で割腹して果てた。(飯倉次郎左衛門の章)乱後三年、近習に取立てられた伜佐治衛門は衷心をもって病床の式部少輔に仕えたが、勘気にふれて閉門を命ぜられ加増分を召上げられた。しかし、佐治衛門の忠心は変らず、ほどなく死亡した式部少輔の後を追って切腹した。(飯倉佐治衛門の章)時代は元禄、江戸遊学中の佐治衛門の孫久太郎は時の藩主丹波守宗昌の眼にとまりお手付小姓となったが側室萩の方との仲を疑われ、男色に狂う宗昌の命で羅切りの酷刑にかかり果てには萩の方を妻にもらいうけ信州に帰った。(飯倉久太郎の章)天明期に移り、全国各地天災地変がおこり農民達は苛斂誅求に苦しんでいた。時の飯倉家当主修蔵は奉納試合で秘剣“闇の太刀”を披露し藩主安高に褒美を貰い、娘さとと野田数馬の祝言も決まるなど幸福の絶頂にあった。同じ頃、藩を脱け出した農民五名が江戸の老中田沼意知に直訴した。安高は国家老の勧めに従い美貌のさとを賄賂として献上、五人の濃夫を鋸引きの刑に処し、その上修蔵の妻まきを慰みものにしようとしたため、まきは自害した。閉門蟹居中の修蔵のもとに意知の死でさとが下って来たが、数馬との邂逅が安高の目にふれ二人は不義密通の科で捕えられた。耐えかねた修蔵は諌言を決意して陣屋に赴くが、安高は修蔵が得意の“闇の太刀”で罪人を斬れば許してやると目隠しをし、剣を握らせた。一瞬、見事打ち落した首はさとと数馬だった。修蔵は太刀を腹に突き刺すとその場に伏した。(飯倉修蔵の章)時代は明治と変り、時の飯倉当主進吾は青雲の志を抱いて上京、気が狂った最後の藩主高啓の面倒を見て車曳をしながら勉学に励んでいたが、将来を誓いあったふじの体を高啓に奪わてしまった。進吾は悩んだ揚句ふじを説きふせ、高啓の病床に通わせた。高啓の死後進吾とふじは世帯を持った。そして一年後、進吾はふじの体に子供を残して日清戦争に出征、帰らぬ人となった。(飯倉進吾の章)その子、つまり進の父に当る多津夫は満州事変で戦死。進の兄修も第二次大戦に特攻隊員として戦死した。(飯倉修の章)そして現代、進は上司山岡営業部長に杏子との仲人を頼んだところ、信州ダムの入札に関する競争会社飛鳥建設の情報を盗むよう言われた。飛鳥建設のタイピストを勤める杏子はしぶしぶ承知した。程なく入札は進の日東建設の勝利に終った。乾杯の席上で進は山岡に結婚を延期するように勧められた。理由は式場に飛鳥建設の木原重役が出席するというだけのことだ。杏子の悲しみと怒りは睡眠薬服用というかたちで進を責めた。あの残酷な歴史、かくは生きまいと誓った進がそれをくり返していたのだ。進は二人だけで結婚する決心をした。(飯倉進の章) 【キネマ旬報データベースより】
製作年 1963年
製作国 日本
配給 東映京都
上映時間 123
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