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「酒と女と槍」(1960)

81点81
豊臣時代の末期、槍の名人・富田高定は切腹に失敗し、山村に引きこもって静かに暮らしていた。が、関ケ原の合戦が始まり、侍の血を呼びさまされた高定はまた戦場に赴いていく……。武士道に封建社会の矛盾という、内田吐夢が一貫して描き続けたテーマを扱った力作。

あらすじ

文祿四年、秀吉の怒りにふれた関白秀次は高野で切腹、半月後には秀次の妻妾三十八人が三条河原で斬られた。伏見城大手門の前にこんな建札が立った。「われらこと、故関白殿下諫争の臣として数年まかりあり候ところ、此の度不慮の儀これあり候ところ、われら職分怠たりの為と申訳なく存じ候。さるによって来る二十八日未の刻を期して切腹仕可−−」建札の主は富田蔵人高定、槍の蔵人の異名をもつ剛直の士である。高定は死ぬまでの数日を心おきなく過すため、豪商堺屋宗四郎の別荘に身を寄せた。ひいきにする女歌舞伎の太夫、左近と妥女を招いた。建札を見て高定の心を知った妥女は一人残った。一夜あけた時「殿様は女というものの心がお分りではございません」という言葉を残して迎えに来た左近と去った。−−千本松原にはおびただしい見物人が集まった。高定は乱酔のため切腹の定刻をすごし、秀吉の使者に切腹を止められた。高定は西山の村里に、妥女と住むことになった。慶長三年、秀吉が死んだ。兄の知信は高定に再び切腹を迫った。が、高定は兄を追い返えし、仕官をすすめて訪れる前田利長の家臣内藤茂十郎の言にも取り合わなかった。秀吉の死により家康の野望は高まり、関ケ原で豊臣徳川両家が興亡をかけ、対峙した。高定の庵に、利長が訪れ再度仕官をすすめた。高定に、忘れ去ったはずの侍の魂をよび起したのは、槍であった。子供が生れるとすがりつく妥女を残して、高定は利長の後を追った。関ケ原の本陣で、家康の本営に呼ばれた高定の前に突き出されたのは、三成に内通したという兄知信の首だった。利長のとりなしで陣営に帰った高定に、左近が迫った。家康の陰謀をつげ、女の一念をこれで計れと高定を斬りつけ、返す刃でわが胸に懐剣を突き立てた。知信、左近の土饅頭を前にして夜を明かした高定。家康の本陣から三成の陣へ。高定の目には、もう敵も味方も、生も死もなかった。 【キネマ旬報データベースより】
製作年 1960年
製作国 日本
配給 東映京都
上映時間 99
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