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「日本春歌考」(1967)

【DVD発売中】

54点54
大島渚の中期の異色作。セクシャルな妄想と現実との谷間の中で出口を見失い、自己を失っていく大学受験生たちの姿を通じて、社会とは、国家とは、そしてそれにかかわる人間とは何かといったテーマを展開する。大島渚が根本的にかかわる二つの大きな思想……国家や家族といった共同体と個人との問題と、性の問題がともに強く打ち出されている。このあと「儀式」「愛のコリーダ」という、それぞれの問題を究極にまでつき詰めた作品を発表した大島渚を語るうえで、最も注目すべき一編。

あらすじ

豊秋は広井や丸山たちと共に大学受験のため上京してきた地方の高校生である。彼は試験場で見た女の印象から“チャタレイ夫人”を想い浮べ、性欲を感じた。女生徒の名は藤原眉子といい、ベトナム戦争反対の署名を集めていた。試験の終った後、街へ出た豊秋たちはなんとなく建国記念日反対のデモに加わったがそこで、かつて彼らの教師で、いま大学のドクターコースに学んでいる大竹と彼の恋人高子を認めた。豊秋たちは高子の白い脚を見ていっそう性欲を刺激され、デパートで助けた万引女をホテルに誘ったが失敗した。翌日、クラスメートの女生徒早苗や幸子と会った彼らは、大竹を訪ねたが、大竹は居酒屋で豊秋たちの性的欲求不満を見てとるとやおら春歌を歌い始めた。そして男生徒は一層性欲的になったのだが、女生徒は意味も分らず、無邪気に唱和していた。その夜、忘れ物を取りに大竹を訪ねた豊秋は、ガス管を蹴とばして寝ている大竹を見たが、助ける気にならなかった。春歌を歌って眉子を犯す場面を想像していたのである。翌朝大竹の死体が発見され、女生徒は泣いて悲しんだ。だが、豊秋は“泣いている女は性欲的存在である”という哲学的命題を立て、高子を訪ねた。そして大竹を助けなかったことを告白し、一番から十番まで春歌を歌うと十一番目に高子を抱いたのだが、初めてのことでうまくいかなかった。事件は過失ということになったがその後、豊秋たちはプロテストソング大会で眉子に会い、空想で彼女を犯したと告げたが、意外にも眉子は空想を実現して欲しいと言う。彼らはある教室の中でそれを実行したのだった。彼らの行動は抑圧された性欲に根ざしていたが、現代の社会で抑圧されているものは若者の性欲ばかりではなかった。 【キネマ旬報データベースより】
製作年 1967年
製作国 日本
配給 松竹=創造社
上映時間 103
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監督

キャスト

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