「ほんだら剣法」(1965)

80点80

あらすじ

仙台伊達藩に、磯川兵助という若侍がいた。馬廻りで百二十石、お人好しでバカ正直な彼は、いつも藩内の笑い者だったが二メートルにおよぶ大太刀を振り廻す“ほんだら剣法”だけは、めっぽう強い男だった。さて、藩祖正宗公が青葉城を開いて二百三十年、これを記念した武芸大会が開かれた。この日、兵助は腕におぼえの“ほんだら剣法”で、藩主陸奥守をやつけてしまった。あわてたのは指南番安田新左衛門だったが、後見人の泉修里からは、逆にみどころのある男とほめられ、見合いの話まで持ち出される始末。しかし兵助はかねてより修里の娘、津絵のことをにくからずおもっていた。その頃、兵助は首吊り自殺寸前の娘を助けた。彼女はお袖といい、伊達藩に潜入していた公儀の隠密、小畑伊十郎にすてられたというのだった。正義漢兵助はすててはおけず、彼女のめんどうをみることにした。ところがこれを知ったのが近習頭心得の黒崎栄太郎である。彼は兵助と津絵の仲も知っており、武士の風上にもおけぬ奴、と兵助闇討ちを計った。だが失敗した彼は、伊達正宗公の兜をかくし、嫌疑を兵助に向けたがまたもや失敗、ついに御用となったが兵助の命乞いで助かった。さてその頃、江戸幕府の歴代の重役の中でも、カミソリ越前と仇名される水野越前守は、参勤交代でやってくる、伊達藩主の到着を待っていた。小畑伊十郎から武力を増強し、城を無断で改築しているとの連絡があったからだ。藩を代表して使いに出たのは兵助だった。伊達六十二万石の運命を一身に背負った兵助は、お袖が昔の男伊十郎の懐から、命からがら盗み出してくれた“さんさ時雨”を記した白扇を胸に乗り込んだ。トンチ問答まがいの申しひらきで、磯川兵助一世一代の大芝居はついに越前守をやりこめた。兵助は陸奥守よりほうびとして、三百石の加増と、津絵をもらったのだった。 【キネマ旬報データベースより】
製作年 1965年
製作国 日本
上映時間 86
チケット 前売りチケットを購入する