「ドドンパ酔虎伝」(1961)

0点--

あらすじ

赤穂浪士が吉良家へ討入りするかどうかが話題になっていた元禄十五年の初夏、江戸ではどどんぱ音頭という新しい歌が流行していた。中山安兵衛の作曲、大高源吾の作詩によるので、女艶歌師まり江たちに歌われてヒットした。このリズムを無断盗用して、村上権十郎と氏上典膳がどどんぱ教という踊る宗教を始めた。これも大繁昌。同じ頃、江戸には台風組という怪盗団が出没し、赤穂浪士の仕業だという噂があった。その探索に血眼になっているのが、三次と仙太の目明しコンビと、堀部弥兵術・お園の親娘である。ある日、安兵衛は長屋の娘おきみが借金五両のカタに、高利貸万吉に連れ去られようとしている聞き、酒呑みコンクールに出場、決勝戦で赤垣源造と一騎討ちになるところを源造の友情による棄権で賞金五両を獲得した。安兵衛は叔父の甚左衛門に会った。宝蔵係だった甚左衛門は下役村上権十郎に黄金の歓喜仏を盗まれ、権十郎を求めての旅だという。安兵衛はそんなつまらぬことに命を賭けるのはと協力を断った。安兵衛は金をもっておきみを引取りに万吉の家へ行った。ちょうど台風組一味が襲来していたが、首領を追った安兵衛は、首領が権十郎であるのを知った。権十郎はどどんぱ教の鈍海上人に早替り、三次と仙太に安兵衛こそ台風組の首領だと教える。これを知った長尾の住人は、三次と仙太を袋叩きにした。権十郎はどどんば教本部を閉鎖し、先手を打って甚左衛門に決闘状を送った。安兵衛が高田の馬場での決闘を知ったのは、決闘開始の時刻であった。大高源吾と赤垣源造の助太刀。安兵衛のどどんぱ二刀流は冴えるのだった。 【キネマ旬報データベースより】
製作年 1961年
製作国 日本
上映時間 74
チケット 前売りチケットを購入する