「悪太郎〈1963年〉」(1963)

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時は大正初期、悪太郎の異名をとり次々に転校を繰り返す青年、紺野東吾の青春を描いた鈴木清順の佳作。このあと、清純美学の立役者となる美術の木村威夫が、スタッフに初参加。小道具となる巻き紙の手紙を木村自らが書くなど、こだわりの美学の片鱗が見られる。

あらすじ

頃は大正の初期、素行不良、悪太郎の名を着せられて神戸の神聖学院をクビになった紺野東吾は、母の知人である豊岡中学の近藤校長に預けられた。転校一月を経ずして悪太郎の悪名は全校にひろがった。五年生の風紀委員は、東吾を目の仇にして、ことごとく対立したが、いつも東吾の屁理屈にやりこめられていた。そんなうちに東吾は校医の娘で豊岡小町と騒がれている恵美子を知った。友人の丸井から、風紀委員の鈴村も恵美子に夢中だと知った。東吾は鈴村を短刀で脅かし恵美子から手を引かせた。そして、自分は恵美子に近づく機会を着々と狙っていた。ある日、下宿の前でにわか雨に降りこめられた恵美子とその友人の芳江をみつけた東吾は、二人を自宅に招き入れ、恵美子と文学論をたたかわせた。その帰途、恵美子を強引に神社の境内に誘い、いきなり唇を奪った。恵美子も東吾を好いていたのだった。これを機会に、二人の仲は急速に深まっていった。二人の逢引きの場所は、旅館の娘である芳江の手引によって、旅館の部屋が提供された。ある日曜日、恵美子は京都の叔母の家に行くことになった。京都の旅館で初めて結ばれた二人は、叔母の家に行かずに芳江の旅館に帰ってきてしまった。それを鈴村がみつけたから話は大きくなった。風紀部がくる。校長が来る。岡村が来るで二人の仲は一挙に明るみにでてしまった。東吾は退校処分になった。恵美子は親戚の家に預けられ、東吾は東京に出た。東吾は小説家になるため苦学しながら学校に通った。そんな時、恵美子は急性結核となって死んだ。東吾は、その悲しみに負けることなく、小説家としての勉強にはげんでいくのだった。 【キネマ旬報データベースより】
製作年 1963年
製作国 日本
配給 日活
上映時間 95
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